小野藩陣屋

別名− 付近住所 小野市西本町477 現在 小野小学校
2004/2/1 碑・案内板アリ


川之江藩より
一柳家
直家→
直次→
末礼→
末昆→
末栄→
末英→
末昭→
末周→
末延→
末彦→
末徳 
1636年(寛永13年)、一柳直家は石高1万石で小野市の主要部と河東郡家原の計30ヶ村を領し小野市を創立しました。当初、陣屋は旧敷地村におかれていましたが、1653年(承応2年)、2代藩主・直次は、御用商人 三宅清昌に請け負わせ今の要害地に新しく陣屋を構築しました。陣屋内は主な施設には政務を行う「公廨庁」、藩主が居住する「御殿」、裁判・訴訟問題などを受け持つ「評定所」、藩士の子弟の教育にあたった「藩校」(帰生館)、藩士みずからの武芸などの訓練を行った「演武場」などがありました。その陣屋内は、土塀によって仕切られ、その要所に番所が置かれました。陣屋の北側には、上級藩士宅 更に大手広小路から以北は中級・下級藩士宅が建ち並びました。明治4年の廃藩までの218年間、直次から十代に渡る一柳家の藩政が行われました。

    

                 磐代神社

磐代神社
当神社は、小野一柳家の氏神として、陣屋の構築にともない建社されたものである。旧社殿は昭和40年の台風により倒壊し、現社殿は、昭和41年にさいけんされた。祭神は、一柳家の祖・伊予国の名族河野家の氏神でもあった大山祗神である。5代藩主末栄は、宝暦年間(175163)に、一柳家の基礎を築いた一柳直末(磐代明神)とその子松千代(真栄霊神)を祖神として合祀している。祭日である329日は、羽柴秀吉の家臣として活躍した直末が、伊豆山中城合戦で戦死した日にあたり、旧藩時代には、藩主自ら祭祀を司り、直末の武功にあやかるべく、軍神として尊崇し、軍士出陣のときは、必ず参拝して武運長久を祈願したと伝えられている。